欧米のLGBT誌であるAdvocateが実施した、UCLA(カリフォルニア州立大学ロスアンゼルス校)教授に対するインタビュー。マネージャーの役割や職場におけるカミングアウトについて持論を展開していますが、やはり、一流ビジネススクール教授の意見は慧眼です。
職場でカミングアウトしようか迷っているLGBTの方、または部下のマネジメントに迷っている管理職の方はぜひお読みいただき、参考になれば幸いです。
(以下翻訳)
LGBTの従業員が職場でカミングアウトするのは、ルーレット盤を回すようなものだ、と口で言うだけなら安全である。
今日、Human Rights Campaignの発表する「Corporate Equality Index] (*1) 」によると、LGBTコミュニティは、アメリカの歴史的成果であるLGBTの権利を、悲劇的で想像外の暴力で覆そうとする国の最高権力者から、前例のない攻撃を受けている。
(*1)訳者注 米国の人権啓蒙NGOであるHuman Rights Campaignが発表する企業の評価指標。企業のLGBTに対するポリシーや業務内容に基いて、最高値を100%として評価付けした指標。毎年発表される。
Fotune 500のうち98%の企業が、性的指向による差別に対する保護策を提供しているにもかかわらず、未だにアメリカ全土の半数以上のLGBTが、職場で自分が何者であるかを隠さなければならない。同様に、35%は私生活について嘘をつくことを強いられている。
LGBT従業員が職場において何らかの脅威にさらされているが、この問題はマネージャーについても当てはまる。
カリフォルニア州立大学ロスアンゼルス校アンダーソンスクール(ビジネススクール)の教授であり、研究者であるSamuel A. Culbert の新著 “Good people, Bad manager”では、職場環境を詳細にリサーチすることで、「よい人々が、悪いマネージャーとなる」のを喝破している。
Advocate誌はCulbertにインタビューし、職場においてカミングアウトするのに何が問題となるのか、ティム・クック(*2)とトランプ大統領から我々は何を学ぶことができるのか、また、役立たずのマネジメントの慣習が、善意の人々を悪い行動に駆り立て、その結果、助けが必要な人々に悪影響を及ぼしているという点にについて議論した。
(*2)言わずと知れた、Apple社のCEO。スティーブ・ジョブスの遺志を引き継ぎ、アップルを世界No1企業に。2014年に「ブルームバーグ・ビジネスウィーク誌」にカミングアウト。
カミングアウトしていない従業員に対してどのようなアドバイスをしますか?
私の人生における最も偉大な文化的変革は、LGBTコミュニティによってもたらされた社会的発展である。誰しもが、ゲイの家族、同僚、友人を持っており、この社会的変革を受け入れないとするのは人としての道徳心に欠け、また非常に労力を伴うものだ。
カミングアウトしていない人々は困難な状況だろう。己の自信の問題であり、職場における偏見の問題でもある。
職場には、従業員が「最高の自分自身」になることを陰ながら妨害する者がいる。LGBTコミュニティはこのことを全て理解しており、犠牲者である。この職場における強制力のせいで、人々は自分自身をごまかさなければならず、無能力のようなる見せかけをせざるえを得ないのだ。
「本当の自分であること」は、職場で成果を出すための最も強力なメガニズムである。協力を得て、信頼を勝ち取る。一度カミングアウトし、隠し事がなくなった人を傷つけるのはとても難しい。大きな自己受容を感じることができ、究極的には自分自身に対し心地よさを覚えるだろう。
職場における信頼関係は、もっとも重要なマネジメントツールの一つだ。全ての職場は政治的であり、大きな勝利を得ているように見える人々も必ずしも勝っているわけではない、ただそのように見えるだけだ。おそらく、君たちがストレートだと思う人たちも、偽りの姿を演じるように強制されている。そのような、生存するため、不安に対処するための偽りは「本当の自分であること」を困難にし、信頼を失うことになる。ただし、著書の中でティム・クックがカミングアウトまでAppleにおいて13年もかかったことに言及しているが、職場においてカミングアウトすることが簡単ではない。
著書の中で、ドナルド トランプの発言にふれ、”I just keep pushing and pushing to get what I’m after (自分が欲しいものを手に入れるまで押して押して押しまくるんだ)”を悪いマネジメント手法としていますが、なぜでしょうか。
マネジメントは他者思考(other-directed)であるべきだが、トランプの発言は強引な自己中{self-directed)だ。ドナルド トランプと言って、人が連想するものは? 「You’re fired (お前はクビだ)」ではないだろうか。彼はこの言葉でキャリアを築いてきた。これはマネジメントなんかではない。良いマネジメントとは、従業員の心を理解し、彼らの思うことや個性を学び、個々の目標を立てる手助けをするとともに、どのように到達するか導くことだ。著書において言いたかったことは、マネージャーが自己犠牲をどのようにすべきか示すことだった。彼らは自分自身の問題に対処し、サバイブするのに忙しいが、効率的に働くことを犠牲にしてでも自己犠牲を示さなければならない。
なぜ、従業員の中には、職場において「本当の自分になること」に危険があると考えるのでしょうか?
一般化はできない。ただ、もしマネジメントが従業員の成功にコミットしておらず、自分の目的の達成のみを追求するなら、従業員が「本物の自分になること」はリスクのある行動だ。全ての状況は政治的な取引となってしまい、上司は自分の思う通りに部下の行動を要求する。部下がはっきりとものを言えるような関係にないのであれば、媚びへつらい、上司の使いパシリにならなければならない。ある意味これは、自分より強く、大きく、力を持つ他者の力への恐怖をきそとする全体主義的なものだ。これが職場に持ち込まれる事実の一部である。職場では口を閉じ、自分自身になってはいけないと教えられてきたのだ。そのような強制力に対してもっと怖がることもできるし、戦うこともできる。
なぜ、従業員が職場の文化を変えようとした時、手を縛られれているような感覚になるのでしょうか?
あなたは “I speak (私は思う)”という言い方で、他人に対して立ち向かったり、挑戦することなしに話さなければならない。あらゆる関係は2人の人間と、3つの事実が付随する。あなたの事実、私の事実、それから「お互いが事実であると同意している」上で話される事実だ。マネージャーは一歩ひき、自分の欲求を押し込め、他の従業員が輝くのを手助けしなければならない。何か重要そうなことを言うのは容易だが、より良くマネジメントすることを学ぶのは最も難しいのだ。マネージャーが、自分はオープンであると言う時はいつもでも、従業員が率直に意見を言うことができるまで空いていなければならない。
「完璧を求める職場文化」が従業員にオープンになることを妨げるのはなぜですか?
「完璧を求める職場文化」では職場の誰もが会社の利益に従って評価される。しかし、人間の本質は不完全であり、誰もが欠点がある。人間の優れているところは、それを踏まえて立ち回れることだ。あなたがやってることは不快だと上司が言ったとき、あなたはやめられるか?おそらく無理だろう。ただ隠れたり、騙したりしながら続けることにならないだろうか。
「skilled incompetence (熟練された無能力)」とはどういうことですか?
自己防衛的な、自分自身を守るために身についた能力だ。ネガティブな対立に置かれた人は対立を避けるよう高度に習熟している。私はこれを「incompetence(無能力)」と呼んでいる。なぜなら、このスキルのせいで、あなたは学ぶことが何もないからだ。私たちはみな、同じゴールに向かっている。私たちは、自己実現したい分野において、できるだけ成長したいと願っている。しかし、安全ではない職場環境においては、従業員は「comfort zone (安全な場所)」に留まり、成長することがない。マネージャーには、従業員が学び、成長することを認めるメンタリティを持って欲しい。これは全てのCEOや株主が会社に対して臨むことだろう。会社が成功する最高の方法は、各従業員が個人的に成長し、学び自分の仕事の幅を広げることだ。
「良いマネージャーはどんなスキルを持っていますか」
他者、及び他者がどう感じるかにつて学ぶ能力だ。誰もが、自衛本能からくるバイアスを持っているが、良いマネジメントとは、マネージャーの自己実現ではなく、他者の成功と成長を助けることに基づくものである。マネージャーは自分の部下に対して責任を負わなければならない。他者思考のマインドセットを持って従業員がどのように働いているかを見出し、同時に彼らが成功できる環境を創出しなければならない。他者について学ぶことは、マネジメントにおいて最も効率的なだけでなく、自分自身について学ぶことにもなる。あなたはより寛大になり、その寛大さは他者の不完全さを受け入れる力となる。
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